結果は自分の中に残る
私は結果が全てと考えない。
努力すれば、その過程も評価されるべきだと思う。
それは、資格試験に挑戦した時に感じたことだ。
結果が出なくても、勉強をした実績は必ず自分の中に残っているのだ。
私が挑戦した国家資格はとても難しく、1年に1度の受験しかできない。
落ちてしまえば来年までチャンスすらない。
その試験に4回臨んだ。
しかしいずれも不合格。
惜しいところまで進んだ年もあったが、結果として形には残らなかった。
それでも仕事には役に立った。
仕事をしている時も、これは参考書のあのページに書いてあったと思うこともあった。
上司から言われることも、試験の勉強をしていたから、的確な受け答えができたと手ごたえを感じることもあった。
落ちる度に、合格率は20パーセントに満たない試験だから、と自分を慰めながら、来年こそはと誓った。
それは叶わなかったが、自分の中に積み重なっていくものは感じていた。
目に見える形ではなかったが、スキルアップしていたと断言することができる。
努力し続ければ、良い結果は、諦めなければ出るのが人間の能力である。
失敗から学ぶことに気付けば、良くなる方向にしか向かない。
大抵の人は途中で限界や言い訳を作って、さっさと諦めてしまうものだが、それも決して悪い事ではないと思う。
違う方向に積極的に目を向ければ良いのだが、いつまでも腐っていては、あいつはダメだという烙印を押されるだけである。
外国語とは縁のない仕事
現在、外国語とは縁のない仕事をしておりますが、少しでも触れる様に努力しています。
例えば、英字新聞を読んだり外国映画は字幕を見るようにして、聞き取りと発音に気をつけながら鑑賞しています。
また、外国の習慣などを学ぶ様にしています。
将来的に翻訳をしたいと思っているので、特に気をつけているのは、映画を見る前でも後でも、原作本を読むようにしています。
なるべく英文のものを探す様にしています。
とにかく、文章のニュアンスをとらえられる様にやっています。
将来像は、原作を読みたくなるような翻訳をしたいです。
細かいニュアンスを上手く伝えて、それを読まれる方が、外国の作品だろうがすんなり作品に入れるような話を創りたいよ思っています。
現在は、外国語とは縁遠くなっていますが、学生の時は英語を専門に勉強していました。
その時、外国の先生によく言われていたのが、「言葉はコミュニケーションの道具なので変にきれいな言葉を使わなくていいよ」また、「英語を話す事に資格は特に重要ではないし、持っていても話せる人は少ない」と常々言ってました。
それと、日本に来ていた留学生の人達共接する機会もあったのですが、とにかく、文化というか、考え方の違いはすごく痛感しました。
日本人同士だと問題が無いことが、すごく他国では問題がある事がありました。
書物等では分からない事がありますし、書物でしか分からない事もあります。
今、思うのはチャレンジしてトライする事が勉強の近道だと思います。