家庭教師の役割

現在中国では、家庭教師がますます流行するようになりました。
90年代、誰かが家庭教師を持っているなら、その子の成績が悪いと証明し、恥だと思われるものですが、現在になって、誰かが家庭教師を持っていないなら、それが珍しいことです。

多分生活レベルの上昇により、家庭教師への給料は負担にならないのはその原因の1つ。
それに、授業内容の繰り返しや、先に勉強するなど、いい成績が取れると、両親が考えているのでしょう。

しかし、それは本当に子供たちにいいのでしょうか?
家庭教師がいるから、学校の授業にそんなに力を入れなくてもいいと、甘く考えてしまう子もいると思います。

おかずばかり食べて、ご飯を食べたくないと同じことでしょう。

一方で、子どものテレビ視聴やインターネットからの影響も考える必要があります。
子供の時に毎日テレビを見て、それは視力に悪い影響があると言われました。
あまり長い時間にテレビを見ることが絶対に許可してくれませんでした。

大学に入学した後、勉強のためによくパソコンを使いました。
パソコンを使うと、テレビを見ると同じように放射を受けて、視力に影響して、近視を誘発する危険も大きいという話もあります。

ある調べによると、中国の近視の発病率は70%ほど高くて、完治もできません。
しかし、近視の症状は少しでも軽くなれます。

目が疲れたと感じたら、無理しなくて、少し休んで、目をマッサージしたり、遠いところの木や山を見たりして、目の疲れを緩和できます。
それに、毎日起床から寝るまで休憩なし目を使ったらよくないので、たまたま目を閉じて休んで、視力の回復にも役に立ちます。

家庭教師の楽

私は人にものを教えるということを仕事にしたことがある。
大それた言い方をしたが、ただの家庭教師である。
家庭教師は大学生にとっても最も楽なアルバイトだろう。
最大限磨き上げたその武器が手元にあるのだ。

小中学生を相手にすることはいとも容易い。
待遇も他のアルバイトとは天と地の差だろう。
職によっては、怒鳴られ、貶され、必死でやってきた勉強さえも馬鹿にされるような現場がある一方で、「先生」と呼ばれ、ひたすらおもてなしされる、それが家庭教師である。

ただ、そこに家庭教師という仕事の最も大事な要素が隠れているのだ。
他の仕事であれば、怒られる代わりに責任は持たなくていいだろう。
先輩がいる。
社員がいる。

一アルバイトは一アルバイトで完結するのだ。
しかし、家庭教師は一人、生徒とその家族の期待を一身に背負って仕事をしなければならない。
勉強を教えるということはそこまで難しくないかもしれないが、生徒、いやその親が望んでいることは子供の将来である。

子供の将来を託すからこそ、頭を下げ、コーヒーを出し、時にはお菓子やケーキを振る舞い、さらにはお金を渡すのだ。
それに気付いた時、適当に、ただ問題を解くような、そんな授業はできなくなる。

物事をどう考えて行くか、新しい問題に出逢った時にどう対処するか、日々のモチベーションを保つにはどうしたらいいかなど、学校の先生でさえ構うことのできない領域を私たちがフォローしなければならないのだ。
そして、差し当たっての越えるべき壁は受験である。

合格しなければ家庭教師の責任である。
合格すれば、頑張った生徒の手柄である。

私は一人だけ志望校に合格させることができなかったことを今でも悔やんでいる。

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