学ぶことに遅すぎることはない

日本人は何か新しいことを始めようとする人に対して、年齢を基準に、賛成や反対などの意見を出す傾向が強いですよね。

学びに年齢や、スタートの早い遅いなんて一切関係ないんですが、そういった外野の意見に振り回されて、モチベーションが低下してしまうということも多いようです。

それぐらいでモチベーションが下がるようなら、ハナから意欲に問題があるのでしょうが、大切なのは、学んだことを何に活かすのかという目標設定です。
もちろん知識として欲しい、ということでも構いません。

例えば、脱サラして医学部に入学して医者になったという人や、会社員をしながら司法試験に合格したという猛者まで、可能性というのはゼロではありません。
ゼロに限りなく近い状況も否定はしませんが、ゼロではないのです。

手に職を付けるという意味でも、新卒者が内定が取れずに、専門学校等に入学して将来設計をし直すことも、遠回りでもなんでもないのです。

昔、テレビの討論番組で、女性の仕事コーデイネーターが、留学後に方向転換した新社会人に対して「人生の遠回り」と言ったのです。
言われた女性はきっぱりと、留学があったから見つめなおすことが出来たのであり、遠回りではないと言い切りました。

人生って教科書通り進まないこと、仕事コーデイネーターはわかっていなかったのかもしれません。

整備と検査も人生には必要なんですね。
そうそう意外と忘れ気味な、車検時に自宅に伺う外車専門の会社があるので、珍しいと思いませんか。

家庭教師のコーディネーター

私が家庭教師を探していると、友達から「紹介するよ」と言われました。
翌日待ち合わせの場所に行くと、友人は小学生5年生くらいの男の子を連れていました。

小学生は「家庭教師のことなら僕に任せて下さい」と言って、分厚いリストを見せてくれました。
リストは勿論、小学生の子ども達の得意科目・不得意科目や塾の模試の成績と全国順位まで載っていました。

彼は塾友達の許可を得て、このリストを作成し、その子にあった家庭教師を紹介しているそうです。
すごすぎます。
しかし、こういう子どもらしくないタイプ私は苦手です。

でもこの子のしている事は需要と供給が成り立っていて、結果的に喜ばれているのであれば、この小学生をコーディネーターとでも呼ぶのでしょうか。
なんとも言い難いです。

家庭教師の業界は活況ではありますが、今では、プロ家庭教師も存在し、大学生のバイトとしての参入は難しくなっているはずです。
にも関わらず、大学生の家庭教師のPRは画一的で、これでは就職面接官も苦い顔をするだろうなという印象です。

大学生が家庭教師のバイトをするために、地域フリーペーパー等へ投稿するコーナーがありますが、本当に誰もが同じようなコメントばかりで食指が動かないのです。
教える科目を羅列し、締めの言葉は「頑張ります」「医大生です」などといった程度。

医大生という肩書きなら親御さんが飛びつくと思っているのなら、勘違いも甚だしいですね。
マーケティング能力の欠如が垣間見れます。

«
»